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境内案内 | お寺での永代供養、お墓を福島市でお考えなら | 鳥渡観音寺

本堂

寛永十八年(1641年)中興清海和尚により建築、そもそもは聖観世音菩薩(開基本尊)をまつっておりましたが、現在は安永年間に遷座された阿弥陀三尊来迎像がご本尊となっております。本建物は仮建築といわれておりますが、間口十二間、奥行七間、屋根面積三百坪を誇ります。堂内には護摩堂、地蔵堂、行者部屋等を配しています。
築380年が経ち、市内最古の本堂と言われます。平成29年より大改修工事が着工され、基本の柱はそのままに新しく修復され、令和元年6月落慶いたしました。

御本尊阿弥陀三尊像

元々は、観世音菩薩が御本尊でしたが、約250年前に現在の阿弥陀三尊に変わりました。本堂改修と同時に改修されて、宮殿、須弥壇も元の姿に戻りました。
阿弥陀如来 御真言 オン・アミリタ・テイゼイ・カラ・ウン


白滝観音縁起図

中陣天井には、観音寺開基本尊、白滝観音。2.2m×2.2mの大きさの縁起図が新しく奉納されました。


合天井花鳥図

本堂改修に際し、篤信檀信徒様奉納の花鳥図が中陣、外陣廊下部分にかかげられました。総枚数は250枚以上になります。


内陣天井天女図

御本尊宮殿上部には、天女図と雲中供養仏の絵がかかげられました。これは、末寺御寺院様の有志より奉納されました。


護摩堂

 本尊は不動明王。元来密教の修行所であり、得度した僧が当山に随身して修行をし、本堂護摩堂において二十一ヶ座の四度加行を満行すると、末寺空寺等の住職として任ぜられて行きました。堂内には加行を満行した証の満行札が飾られております。毎年元旦に護摩祈祷が行われています。現在は比叡山行院にて加行が行われていますが、昭和四十年代前期まで当寺でも修行僧の姿が見られました。

不動明王 御真言 ナマクサマンダ・バサラナン・センダ・マカロシャナ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン


地蔵堂

 本堂の南端の間には「延命地蔵尊」がまつられ、子安、子育、延命等の祈祷、水子供養が行われています。

地蔵菩薩御真言 オン・カカカ・ビサマエイ・ソワカ

観音堂

 元文二年(一七三七年)建立、安永年間に現本堂にまつられていた聖観世音菩薩像を安置する為建造されました。
本尊観世音菩薩像は長野善光寺脇佛とそっくりで、当時善光寺信仰がこの地まで伝わっていたのがうかがえます。
信達坂東観音第二十二番札所。周囲にはかなりな彫刻がほどこされ、内部天井には四季花、外陣には竜図が描かれております。
毎年八月十六日夕方に開基本尊聖観世音菩薩像の御開帳、御祈念と同時に盆踊りが開催されます。

聖観世音菩薩 御真言 オン・アロリキャ・ソワカ

山門

 山門は文化年間 寂全法印期に高湯温泉安達屋の寄進で建立とされます。元々は茅葺でしたが、平成九年に現在の屋根に改修されました。

山額の山字は長谷川金竜山人の筆になるもので、山人の名は豹、字は文蔚、元明・隈水と号しました。十八世紀後期から十九世紀にかけて福島の能書三山人とうたわれた名筆者のひとりです。浅草金竜山浅草寺の下馬札を書いて名を天下にとどろかせ、金竜山人と呼ばれました。

山門前には鐘楼堂がありましたが、戦時中に供出されてしまいました。

薬師堂

 秘仏、本尊薬師如来像は、比叡山の僧 恵心僧都源信の御作といわれ、比叡山根本中堂の秘仏(本尊)を模写したものであり、身丈は小さいが御顔御姿共そっくりに彫られています。

これは明治年間に舜海和尚が本山戒蔵院住職だったころ、「比叡山復興に貢献した為、恵心院内佛だった本像を同山双厳院置かれしものを、懇請して当山に供奉す」と厨子には記載されています。明治十九年に当山薬師堂に遷座しました。

薬師如来は西方極楽浄土の阿弥陀如来に対して東方浄瑠璃界の教主です。その名の通り医薬を司る仏で、医王という別名もあり、衆生の病気を治し、安楽を与える仏とされます。このため仏像もしばしば薬壷を持っています。

薬師如来 御真言 オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ

開運堂

 縁起の良い仏様達が安置されています。正面には愛染明王、その名のとおり愛の仏、縁結びの神様です。手前には商売繁盛の神様である恵比寿大黒様。さらには十二支にまつわる仏様が安置されております。

高湯温泉と観音寺

 平成十九年に開湯四百年を迎えた高湯温泉ですが、その開湯には二説あり、その一つに安達屋旅館の祖である伊達家の家臣であり、般若坊でもあった初代菅野三四郎が慶長十二年に安達郡木幡村治陸寺から仙台城に赴く途中、
鳥川の観音寺に立ち寄り宿泊したところ夢枕に一人の行者が現れ「武門を解き西の山に温泉を探し諸人のために尽くせ」とのお告げがあった。
 これはきっと私に課せられた天命と山中を幾日も探し歩いた所、大きな岩がある荒涼とした所にたどり着き、 そしてその上に一人の高僧が存し「万来お前が来るのを一千年も待っていた」と告げた、
三四郎は「正にこの光景は夢枕に現れたものと同じであり、今こそ所願達成のとき」と経を唱えながら岩を取り除こうとしたところ不思議と金剛力が出て岩は砕け散り温泉が湧き出たのが始まりと言う古文書が残されており、
高湯温泉安達屋奥の薬師堂裏の墓地にはその歴史を見ることができます。

(文:安達屋旅館ホームページより抜粋)

幽霊の掛軸

 文政七年に岳温泉が山津波により、ひとのみにされた事は、文献により明らかですが、当寺の幽霊の掛軸はその時亡くなった湯女の幽霊と言われており成仏を願って当時に現れたと考えられています。